第5回「多民族・多文化共生」キリスト者青年現場研修プログラム報告
◇2013年8月1日から8月7日にかけて、外キ協主催「多民族・多文化共生キリスト者青年現場研修」プログラムが実施された。
◇青年の旅は、日・韓・在日教会による合同のプログラムとして、2008年から5年計画として始められ、今年は一区切りとなる第5回目を迎えた。
◇今回の「青年の旅」では、各地外キ連・各教派団体より集まった日本・在日教会青年たち8名が、北九州と韓国をまわり、学びのときを持った。
<1日目(8月1日)>
●北九州に集合
小倉駅南口デッキに参加者は集合した。バスに乗って西南KCCへ。到着して一息ついた後、オリエンテーション。
●開会礼拝
開会礼拝では、九州・山口外キ連メンバーであり、日本基督教団小倉日明教会牧師の川本良明さんより、メッセージをしていただいた。川本牧師は、出エジプト記に描かれるモーセの生い立ちについて、丁寧に語ってくださった。在日大韓基督教会小倉教会で長らく牧会をしつつ、在日韓国・朝鮮人の人権獲得闘争に取り組んで来られた故・崔昌華(チェ・チャンホア)牧師の歩みとその中で語られた言葉についても紹介くださった。
●九州・山口外キ連との交流
開会礼拝の後、九州・山口外キ連、在日大韓小倉教会の皆さんが用意くださったたくさんのおいしい食事を囲みながら、交流のひとときをもった。今回の青年の旅では、すでに参加経験のあるリピーターが多く、久しぶりの再会を嬉しく感じる時間を過ごすことができた。
●わかちあい
就寝前に、皆で1日のプログラムを振り返る時間を持った。このわかちあいは、プログラム中、毎晩行なわれた。
<2日目(8月2日)>
●田川市石炭歴史博物館
朝、在日大韓小倉教会の朱文洪(チュ・ムンホン)牧師、川本良明牧師の運転する車にそれぞれ分乗し、北九州・筑豊炭鉱跡地域の現場研修へと出かけた。最初に訪問したのは、田川市石炭歴史博物館である。館内の展示を見た後、敷地内の端に位置する韓国人徴用犠牲者慰霊碑で黙祷を捧げた。案内役を担われた川本牧師が自身の経験から語ってくださった話が大変に印象深かった。
●日向墓地
次に向かったのは、強制連行され、筑豊炭鉱で鉱夫として働いた朝鮮人の遺骨の眠る日向墓地であった。隣に位置する日本人のペットの墓よりもずっと小さく「みすぼらしい」墓石が並んでいる。筑豊の問題に長らく取り組み続けた犬養光博牧師が繰り返し語っていた「死人権」、つまり「死んだ者の権利」という問題が印象的であった。大変な無念さの中で死んでいった人びとから、現在を問われているような気がした。
●小田山墓地
そのあと参加者は、小田山墓地へと向かった。1945年9月、日本の敗戦と同時に訪れた解放の中、故郷である朝鮮へ帰ろうと乗り込んだ船が台風によって沈没し命を落とした多くの朝鮮人が眠っている墓地である。そこには若松の海岸に流れ着いた約80体の遺体が埋葬されている。無窮花(ムグンファ)の木が新たに植えられていた。墓地に添えられている碑文には、強制連行された人びとが亡くなったにもかかわらず、謝罪の言葉は入っていない。
●永生園
小田山墓地から向かったのは、門司の城山霊園内に位置する永生園である。強制連行されたまま亡くなった名もなき朝鮮人の遺骨も安置されている。遺骨収集の取り組みによって、家族のもとに帰っていた遺骨もあるが、依然として永生園に眠り続けている遺骨も多い。在日大韓小倉教会の金貞子(キム・チョンジャ)長老が案内をしてくださった。黙祷を捧げ、永生園を後にした。
その後、朱牧師と川本牧師が下関港へと送ってくださり、参加者は関釜フェリーへと乗り込んだ。
<3日目(8月3日)>
●韓国到着
フェリーで玄界灘を越え、釜山港に到着した。釜山はプログラム後半で訪れる予定であったため、一同は高速鉄道KTXに乗り込み、ソウルへと向かった。ソウルで参加者1名と合流した後、EYCK(Ecumenical Youth Council in Korea=韓国キリスト教青年協議会)総務のソル・ユンソクさんの運転する車で広州市にあるナヌムの家へと向かった。
●ナヌムの家―日本軍「慰安婦」歴史館
ナヌムの家に到着した参加者は、まず日本軍「慰安婦」歴史館を訪れ、日本語ガイドの工藤千秋さんより説明を聞いた。ナヌムの家は、植民地支配期に「日本軍」慰安婦の被害にあったおばあさんたち(親しみを込めてハルモニと呼ぶ)が共同生活を送っている施設である。仏教界の支援で運営されている。
「慰安婦」歴史館では、昨年も工藤さんより説明を聞いたのだが、今年は昨年以上に焦りや苛立ちも含めて説明をしてくださった。一方でハルモニが高齢になる中、依然として日本政府はハルモニの7つの訴えのうち、ひとつも受け入れようとはしていない。また、日本の排外主義団体よりインターネットを通じて執拗に攻撃を受け、また実際にナヌムの家に来てはハルモニに暴言を浴びせかける。そのような状況が、ガイドの工藤さんの口調をも厳しくさせているようだった。
例年は、歴史館見学の後に、ハルモニにお会いし、少しの時間お話を聞かせてもらっていたのだが、今年は私たちの到着が大幅に遅れてしまったために叶わなかった。ただ、工藤さんが語っていた通り、ハルモニはいつまでも元気にナヌムの家で暮らしていられるわけではない。そのことを先取りするかのようだった。
ナヌムの家から帰った参加者は、宿所であるソウルの韓国基督教百周年記念館へと向かい、その場所でわかちあいを行ない、就寝した。
<4日目(8月4日)>
●安山に向けて出発
第1回青年の旅に参加して韓国に留学中の青年と合流した一同は、地下鉄に乗って安山市へと向かった。
●多文化教会の主日礼拝に出席
安山市は韓国で最も多文化共生が進んでいると言われる街である。中心部である元谷洞(ウォンゴクドン)は、街ゆく人びとの半数以上が移住者である。
他の街とは大きく異なる雰囲気に驚きながら安山に到着した参加者は、大韓イエス教長老会が支援している安山移住民センターに立ち寄り、同じ建物の中にある多文化教会の礼拝に出席した。
礼拝では、さまざまな言葉で賛美がなされ、またさまざまな言葉で聖書の御言葉が読まれた。聖書はその言語ごとに順番に読まれていった。当日の出席者に合わせて、各言語で聖書を読んでいる様子だった。形式が先立つのではなく、その場にいる人びとに合わせて礼拝が行なわれる多文化教会の姿に、参加者は大変な刺激を受けた。
●安山移住民センター
礼拝の後に一緒に食事をいただき、そのあと安山移住民センターに移動して、代表を務めておられるパク牧師より取り組みについて伺った。その中で、日本と同じく経済状況によって簡単に切り捨てられる移住労働者の実情や、移住民センターが幅広く展開している取り組みについて話を伺った。センターでは、大きな学校の建設を展望しているという。
その後、元谷洞で自由行動の時間を持った。日曜日は多くの人びとにとって職場が休みであるため、街は多くの人で賑わっていた。通りにはさまざまな屋台が建ち並んでいる。広場では、バレーボールの試合が行なわれていたが、さまざまな世代の人びとが楽しく遊んでいた。牧歌的な雰囲気の一方で、警官が目を光らせてもおり、この街の危うさについても目の当たりにした。
●EYCKとの交流
安山を後にした参加者は宿所に戻って分かち合いをした後、EYCKとの交流会へと出かけた。EYCKは韓国NCCの青年下部組織にあたり、エキュメニカルな青年のつながりを担っている。青年の旅はもちろんのこと、その他の在日・日・韓教会青年が共同で実施するプログラムなどにおいて積極的に関わってくれており、今回の参加者ともつながりが深い。久しぶりの再会を喜びながら、交流を深めた。
<5日目(8月5日)>
●永登浦現場訪問
8月5日には、ソウルの中心部に位置する永登浦の現場訪問を行なった。永登浦は華やかな雰囲気がある一方で、路地を入るとインナーシティと呼ぶべき街が広がっている。
私たちは、永登浦産業宣教会の事務所を訪問し、その取り組みを聞いた。同宣教会は、1957年に組織された歴史ある宣教団体である。時代の移り変わりとともにアプローチの方法を模索しつつも、一貫して、劣悪な環境下で働く労働者に関する人権問題と宣教に取り組み続けて来た。韓国民主化闘争時にはひとつの拠点となった重要な場所であった。産業宣教会の歴史的な変遷と、IMF経済危機以降の野宿者問題に対する取り組みを伺い、参加者は多くの刺激を得た。
その後、野宿者の一時滞在場所(シェルター)を運営している施設を訪問した。その働きを担っているスタッフの方より、経済危機から野宿者が増加し、現在においては高齢者に加えて若者も増えている状況について話を聞いた。日本の都市部の現状と同じ課題を共有する時間となった。
●釜山受け入れ団体との交流
永登浦を訪れた後、参加者は再びKTXに乗り込み、釜山へと向かった。釜山では大韓イエス教長老会に属するイ・ジェアン伝道師を中心とする釜山キリスト教青年アカデミーのグループが受け入れを担ってくれた。同グループは、第1回から第5回まで通して受け入れを担い続けてくださり、大変感謝である。
釜山に到着した参加者は、伝道師が手配してくれたゲストハウスに到着してわかちあいを行なった後、釜山キリスト教青年アカデミーとの交流会をもった。交流会においては翌日に訪問する密陽の現場について簡単に説明を聞いた後、原発をめぐる状況について分かち合い、今後の交流のあり方をめぐって議論した。
<6日目(8月6日)>
●密陽現場訪問
当初、古里原発を再訪する予定であったが、より重要な現場があるとのイ・ジェアン伝道師の意見を受け、密陽の現場訪問となった。
密陽は、新古里原発などで生み出した電力を首都圏へと供給する超高圧電線と送電塔が建設されようとしている地域の一部であり、2008年から地元住民による建設反対運動が行なわれている。
建設反対運動/阻止行動の拠点となっているビニールハウスを訪れ、村のハルモニやハラボジから話を聞いた。ハルモニからは、送電塔建設をめぐって住民たちが分断されている状況や、警察による厳しい排除の状況、村長であるハラボジからは、なぜ建設に反対するのか、その思いを伺った。村長の次の言葉が大変印象的であった。「私たちは今まで通り暮らしたいだけだ。私たちは勝つ」。
その後、2台の車に分乗し、実際の送電塔建設予定地を訪問した。建設現場は自然豊かな山間部である。ただ、その送電線は、村の人びとの暮らす場所のすぐ近くを突っ切るように建設される予定であり、765,000vもの超高圧電線から生じる電磁波による健康被害や、雨天時の「ジジジ」と鳴り続ける騒音による精神的なストレスによる被害が懸念されている。この建設は、原発と送電塔/送電線をセットにしてUAEへ輸出したい韓国政府の思惑もあり、住民の意思が聞き入れられないまま、工事が強行されつつある。
●釜山近郊観光と現場訪問
密陽を訪問した後、やや時間に余裕があったので、釜山の海岸を観光した。ヘウンデのような大規模な海水浴場ではなく、あたり一面に海産物の食堂が並ぶ砂利の海岸などを回った。その後、イ・ジェアン伝道師の職場である野宿者支援団体事務所「東区ドヤ相談所」を訪問した。大韓イエス教長老会が設立に関わったものの、釜山市からの業務委託を受けて活動を行ない、釜山大学と協力するなど、自治体や市民セクターとの連携の中で取り組みを続けている。
その後、参加者はイ・ジェアン伝道師らと別れ、関釜フェリーに乗り込んだ。
●フェリー乗船
フェリーが出港してしばらく、参加者は刻一刻と光の粒となっていく釜山の美しい夜景を眺めながら、それぞれ旅を振り返った。学んだことの重さと旅が終わろうとする寂しさが入り交じる中、潮風が吹き抜けていく。何度経験しても感慨深い時間である。
その後、青年の旅全体を振り返る時間を持った。「参加青年による宣言文」の作成を考えていたが、そのような形式にとらわれるのではなく、参加青年がそれぞれの思いを存分に分かち合えるよう、自由に語り合う時間とした。参加青年は、言葉に詰まりながらも自らの思いを精一杯言葉にしようとし続けた。日付を越えても、なお話し続ける貴重な時間となった。
◆最後に
青年の旅も、一旦の一区切りとなる第5回を無事に終えることができた。まず、企画ならびに引率を担い、青年を育ててくださった李相勲牧師、石塚多美子牧師、韓守賢牧師に心より申し上げたい。そして、青年たちを送ってくれた各地外キ連、各教派・団体の方々、青年の旅に参加してくれた全ての青年たちに、感謝したい。
●小池 善(日本基督教団早稲田教会)