<報告>「多民族・多文化共生」青年の旅・2012
◇2012年7月29日から8月3日まで、外キ協主催の「多民族・多文化共生キリスト者青年現場研修プログラム」が実施された。
◇「青年の旅」は、日・韓・在日教会の合同プログラムとして、2008年から5年計画で始められたものである。今回は第4回目となる。
◇今回の「青年の旅」は、各地外キ連・各教派団体から集まった青年たち7名が、北九州と韓国をまわった。
1日目(7月29日)
◆北九州に集合
●集合
小倉駅南口のデッキに参加者が集合。バスに乗って西南KCCへ。到着とともに自己紹介とオリエンテーションを行なった。
●開会礼拝
開会礼拝では、九州・山口外キ連メンバーで日本基督教団小倉日明教会牧師の川本良明さんがメッセージを語って下さった。川本牧師は、生まれたばかりのモーセを川に流した後、乳母として育てたモーセの母の物語、また、マルコによる福音書に記される「12人を派遣する」箇所、五千人への給食の箇所など、さまざまな聖書箇所を引用しながら話を進めた。
話の中で、日本の教育(テストで高い点数を得ることを主眼に置く)を『learn』と定義した上で、『learn』ではない『study』としての学びの重要性を語った。『study』には、「極める」や研究するという意味が含まれている。『study』としての学びの原点には、「なぜか?」という問いが必要であるとの指摘は、旅を始める参加者にとって大きな問題提起となった。また、日本において元号が用いられ続けていることを引き合いに出し、依然として天皇制が時間を支配している問題についても語った。元号は天皇制が依然として生き続けていることの表われのひとつであり、天皇制の問題に対して、現在においても日本の教会に責任があるという指摘は鋭いものだった。
なお開会礼拝には、九州・山口外キ連の朱文洪(チュ・ムンホン/在日大韓小倉教会牧師)さん、李圭哲(イ・ギュチョルさん/西南KCC理事長)さんが同席してくださった。
●九州・山口外キ連との交流
開会礼拝の後、九州・山口外キ連、西南KCCの皆さんが用意してくださったたくさんの美味しい食事を囲みながら交流の時間を持った。簡単に自己紹介をした後、九州・山口外キ連の活動を伺った。
また、在日大韓小倉教会に通っている韓国の留学生も同席してくれたことも嬉しい出来事だった。
●わかちあい
就寝前に、皆で1日のプログラムを振り返る時間をもった。このわかちあいの時間は毎晩もたれた。
2日目(7月30日)
◆北九州・筑豊
●田川市石炭歴史博物館
朝、朱牧師と川本牧師の車で西南KCCを後にした。筑豊現場を案内してくださったのは在日朝鮮人2世として北九州に生まれた裵東録(ペ・トンノク)さん。田川市石炭歴史博物館につくと、裵さんは母の体験談や資料を交えながら強制連行の事実をわたしたちに語ってくれた。敷地内にある韓国人徴用犠牲者慰霊碑で黙祷を捧げた後、韓国の国花である無窮花とともに記念撮影をした。
●日向墓地
次に向かったのが、強制連行され筑豊炭坑で鉱夫として働いていた朝鮮人の墓がある日向墓地。しかしそこにあったのは、名前や時が刻まれた墓石ではなく、無造作にいくつも並べられた「ただの石」であった。入口にあった当時の日本人の愛犬の名が刻まれた墓石が心を揺さぶった。そこで裵さんが涙を流し、地を叩きながら歌って下さった「ノレカラ」の歌は、「ただの石」の下に眠る鉱夫たちのうめきに聞こえた。
●小田山墓地
お昼を食べ、裵さんとお別れして向かった小田山墓地。1945年9月、日本の敗戦と解放のなかで故郷へ向けて出発するも、台風によって無念にも命を落とした多くの朝鮮人が眠る墓地である。若松の海岸に流れ着いた約80体の遺体が埋葬されている。傍らには慰霊碑が立てられているが、碑の由来に元号が書かれていたことと謝罪の言葉が無いことの問題性について、川本牧師が語った。
●永生園
小田山墓地を後にして2日目の最後に向かったのが、門司の城山霊園内にある永生園であった。その中には、強制連行されたまま亡くなった朝鮮人の遺骨も安置されている。金貞子(キムジョンジャ)長老が説明をして下さった。故郷に戻ることなく死んでいった方々の遺骨の前で祈りを捧げ、永生園を後にした。
その後、下関港へと送っていただき、フェリーで釜山に向けて出発した。
3日目(7月31日)
◆広州・ナヌムの家
●韓国到着
朝、釜山港に到着した後、釜山駅からソウル駅までKTX(韓国における新幹線)に乗車し、ソウル駅でEYCK(Ecumenical Youth Council in Korea=韓国キリスト教青年協議会)総務のソ・ユンソクさんと合流し、彼の運転でナヌムの家へ向かった。
●日本軍「慰安婦」歴史館
ナヌムの家には現在、7人の日本軍「慰安婦」被害にあったおばあさんたち(親しみを込めてハルモニと呼ぶ)が暮らしている。
私たちはまず日本軍「慰安婦」歴史館を訪れて、この問題の歴史を学んだ。他団体の方と一緒に巡ったが、日本語ガイドの工藤千秋さんの案内を受けることができて良かった。ハルモニの証言や、軍の関与を示す証拠など、重要な展示を見ることができた。また、ハルモニの描いた絵画の数々は、青春時代を奪われたハルモニの苦しみが描かれており、衝撃的だった。
●ハルモニとの面談
歴史館を見学した後、ハルモニとお会いする時間をもった。あまりにも大きな痛みを負わされたハルモニに会うということについて、参加者はそれぞれ会う前も会った後も葛藤を抱いたが、それでも会って直接話を聞くことができたことは、良かっただろう。当日は、イ・オクソンハルモニ、パク・オクソンハルモニ、ペ・チュンヒハルモニからお話を伺うことができた。ペ・チュンヒハルモニは、最近ナヌムの家の様子が変わってきたことについて、イ・オクソンハルモニやパク・オクソンハルモニは、参加者に年齢を尋ねて、自分の経験や思いを伝えてくださった。ハルモニの言葉に、参加者は涙を流したり、言葉を詰まらせたりした。
●EYCKとの交流
EYCKとの交流の時間を、ソウルで持った。これまでの参加者で、延世大学で神学を学んでいる松山健作さんも交流会に加わってくださった。また、EYCKにつながる各教派の青年担当の方々も参加してくださり、在日・韓・日キリスト青年共同研修プログラムで顔を合わせていた青年も多く、再会を楽しんだ。
その後、分かち合いの時間を参加者でもったが、深夜1時までかかった。それだけ、各参加者がその日感じた思いを語るには必要な時間であった。
4日目(8月1日)
◆ソウル―釜山
●日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会
午前中にソウル・チョンノにある日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会を訪問した。強制動員被害の真相究明のために、関連資料の収集や、被害者による申告と審査・被害認定などの諸事業を展開している政府管轄の機関。
資料や情報の多さにも驚いたが、当事者ではない人間が、やるべきことを考えて必死に実践をしている。当事者でなくともできることは何かあって、それをしっかり考えることの意味と大切さがあることを知った。
●水曜デモ
その後、日本大使館前で毎週水曜日に行なわれている水曜集会(水曜デモ)に参加した。このデモは、日本軍「慰安婦」問題に対する謝罪・賠償のために行われていて、これまで1000回以上続けられている。しかしこの日、当事者のハルモ二の姿はなかった。何年後かには、当事者がいないことが当たり前になるのだろうか。
発表後のような軽い雰囲気、声を大きく張り上げるシュプレヒコール、この問題に関係のない領土問題に関することを声高に叫ぶ人。その勢いにはとてもついていけない思いを感じるところもあった。
●釜山キリスト青年アカデミーとの交流
付き添いをしてくれた韓国の青年とともに昼食を食べたのち、KTXに乗って釜山へ。
宿所である「空間緑」に到着した後、移住民文化センターのチョン・ビョンホさんやイ・ジェアン牧師たちとの交流では、韓国における外国人の抱える問題にどう向き合っていけばいいのかについて話を聞いた。実際に活動をして取り組んでいる人、古里原発に反対し1人でも座り込みをして周りに呼びかけている人、問題を考え自分のできることに取り組んでいる人びとに出会った。
5日目(8月2日)
◆釜山現場研修
●古里原発
宿所である空間緑を出発し、朝一番で銭湯へ。その後、イ・ジェアン伝道師、ソ・ジョンホさんと共に釜山郊外の古里原発へ向かった。当日は、翌日にも原発を再稼働させると発表されていた日であったが、延期が濃厚であったためか穏やかな様子であった。
古里原発周辺は人口が少ない地域であるにもかかわらず、巨大の公共施設が建てられている。政府は、貧しい自治体にお金を落とすことによって、無理矢理合意が取れていると発表しているとのことだった。ソ・ジョンホさんは、古里原発に反対することは、エネルギー政策を問い直すことであり、代替エネルギーを育成することを目指して活動を続けていると語ってくれた。なお、持参したガイガーカウンターを見てみると原発入口においても0.13マイクロシーベルト/時間の数値であった。
●古里原発再稼働反対座り込み
途中でパク・キョンドクさんと合流し、古里原発を離れた後、昼食を挟んでパクさんのお宅へお邪魔した。パクさん宅では、パクさんが勤めている水産業と食生活のお話などを伺った後、釜山市庁舎前に向かった。釜山市庁舎前では、古里原発反対の座り込みが行われている。夏休み期間であったこともあり、釜山YMCAの学生など、20人ほどの人が座り込みを行なっており、わずかな時間であったが、一緒に参加をした。
その後、釜山民主公園資料館を訪れて民主化運動の歴史をわずかであれ学んだ。
●プログラム評価会
フェリーへ乗り込んで、船内でプログラム評価会と全体を通しての振り返りを行ない、プログラムを締めくくった。船から見えた釜山の夜景が大変美しかった。
この日の晩には、プログラム全体を通して印象的だったこと、考えさせられたことなど、参加者それぞれの思いをわかちあった。
翌日朝、下関に無事到着したわたしたちは、小倉駅で、再会を約束して解散した